※本記事には『ゲーム・オブ・スローンズ』最終章の重大なネタバレが含まれています。
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全世界で賛否両論を巻き起こした『ゲーム・オブ・スローンズ』最終章の放送から一ヶ月あまりが経った今、自分の中でもようやく整理がついてきたので個人的な感想をまとめておきたいと思う。
けっして書くのをサボっているうちに一ヶ月経ってしまったというわけではない。
ゲームの終わり
じつに丸1年以上待たされることになった『ゲーム・オブ・スローンズ』最終章の放送は、なんの因果か『アベンジャーズ/エンドゲーム』の公開とタイミングが重なることになってしまった。
世界でもっとも人気の映画シリーズと世界でもっとも人気のドラマシリーズは、奇しくも同時にゲームの終わりを迎えることになったわけである。
いまだかつてこれほどまでにエンタメ業界が盛り上がった時期があっただろうか。
そのコンテンツ力たるや、直前まで放送していた『ウォーキング・デッド』の存在をみんな綺麗に忘れ去ってしまったほどだ。
世界中の人々が、それぞれのスタークの逆襲を固唾を呑んで見守っていた。
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エンドゲームめっちゃ良かったよ。 どっちかというとエンドゲームの話がしたい。
話題を『ゲーム・オブ・スローンズ』に戻そう。
ご存知の方も多いかもしれないが、もともと『ゲーム・オブ・スローンズ』というタイトルは、原作小説『氷と炎の歌』第1巻のサブタイトルから採られている。*1
すなわち、本来「鉄の玉座」を巡る戦いというのは物語のほんの序章部分にすぎないはずなのだ。
実際シーズン7まで見た人の多くは、もはや王位争いになどなんの意味もないと感じていたはずだ。なにしろ"夜の王"が人類を滅ぼそうとしている真っ最中なのだから。
#ForTheThroneなどと呑気なことを言ってる状況ではないのである。
ゲーム・オブ・スローンズ最終章のハッシュタグは#ForTheThroneらしいけど劇中の状況だともはや誰ひとりとして玉座狙ってる場合じゃないですよね
— しあ (@123sheer) December 9, 2018
だから、最終章は玉座そっちのけで"夜の王"との戦いが中心になるものとばかり思っていた。『プリズン・ブレイク』と銘打っておきながら全然脱獄しなくなったドラマだってあるわけだし。
ところが、そんな予想は大きく覆された。このドラマはタイトルどおり、玉座を争うゲームによって締めくくられたのだ。看板に偽りなしとはこのことである。
その意表をつく構成は見事だ。視聴者の予想を裏切る展開こそ『ゲーム・オブ・スローンズ』の醍醐味なのだから。
にもかかわらず、この最終章は様々な批判の対象となってしまった。世界中から好意的に受け止められた『エンドゲーム』とは真逆の結果だ。
その最大の原因は、間違いなく尺不足にある。
これまでたっぷりと時間をかけて描かれてきた壮大な物語を、最終章ではわずか6話でまとめあげねばならなかった。
そんな最終章の展開について、順番に問題点を整理していきたい。
短すぎた"長き夜"
個人的にこの最終章でもっとも不満を感じたのがEp3 "The Long Night"である。
人類と"夜の王"の覇権を賭した最終決戦であり、このドラマ史上において、そしてウェスタロスの歴史上においても最大級の戦いだ。
これまで70話を費やして準備を進めてきた総決算のストーリーラインだったはずなのだが、正直言ってかなり肩透かしに感じてしまった。
明らかに、1話で描ききれるような内容量ではなかった。
まず、ティリオンとサンサは何もせず地下に引きこもっているだけだ。
サンサは「わたしたちにできることは何もない」とティリオンを引き止めるが、とんでもない。
ブラックウォーターの戦いで作戦を指揮し、逃げ出したジョフリーに代わって軍を鼓舞し、スタニス・バラシオンの侵攻を食い止めたのは他ならぬティリオンだったではないか。
むしろ、こういう状況でこそ彼の真価は最大級に発揮されるはずである。
このあたりは単純に脚本の手抜きのように感じてしまった。描かなければならない展開が多いために、ティリオンにまで尺を割くことができなかったのだ。
ティリオンたちが戦うシーンも撮影されたもののカットされてしまったという話を聞いたが、それが本当なら口惜しい話である。
もちろん好きなシーンもあった。
決戦直前にメリサンドルが軍隊の剣に炎を灯していくシーンには心が踊ったし、リアナがひとりで巨人に立ち向かうシーンもやや狙いすぎ感はあったがハラハラした。
なにより、アリアのパートは素晴らしい。ハウンドやベリックといった面々との共闘が見られたし、亡者の襲撃に怯える彼女の姿は新鮮で親しみが持てた。
極めつけはあのセリフである。
ーWhat do we say the god of death?
(死神に言う言葉は何?)
ーNot Today.
(まだ死なぬ)
最初の師であるシリオ・フォレルの存在を、アリアも脚本家もしっかりと心に留めていてくれたことが嬉しかった。*2
しかしながら、良い演出が光るだけに、悪いシーンがまた目立つ。
あれほどまでに壮絶な戦いだったわりに、死のスリルが薄かったというのはかなり深刻な問題だ。
戦いのなかで命を落としたキャラといえば、シオン、ジョラー、ベリック、リアナ、エッドくらい。
彼らが死んで悲しくないと言うわけではないが(むしろ好きなキャラクターばかりだ)、その死に深いドラマ性を感じられなかった。明らかに、人員整理のための死である。
なにより、死ぬキャラと死なないキャラの差があからさまなのだ。
たとえば、ハウンドにはまだマウンテンとの兄弟対決が控えているし、ジェイミーもサーセイとの間になにかラストイベントがあるだろうということは想像に難くない。
ジョンやデナーリスも今後の展開のために当然生き残るだろう。
逆にベリックやシオンなんかは、「ああ、このシーンで殺されるんだろうな」と思ったらやっぱりそのとおりだった。メリサンドルに至っては生き残ったのにもかかわらず身投げするかようにみずから命を絶ってしまう。(なぜ?)
先の展開が見えてしまっているために、このドラマの持ち味である「誰が死ぬかわからない」という緊張感があまり感じられなかった。これはラストシーズンならではの弊害と言えるかもしれない。
もちろん、やすやすと人が殺されていくのはこの作品にとって恒例行事だ。それでもキャラクターの死には常にドラマがあった。
同じような状況でも、死の描写をより上手く映していたのがS4Ep9 "The Watchers on the Wall"におけるジョンとイグリットのシーンだ。
引用元:Watch Game of Thrones Season 4 Episode 9 Online: The Watchers on the Wall | HBO
彼女の死はある程度予想がつくものではあったが、それでも非常に感情を揺さぶられる演出だった。
イグリットはジョンに向かって弓を引くも躊躇い、その隙に別の矢に射抜かれてしまう。
彼女は最後に「あの洞窟から出るんじゃなかった」と呟き、ジョンの腕の中で生き絶える。この時の演出はデナーリスの死の瞬間とも重なるが、こちらの方が何倍も情緒的だ。
彼女を殺したのが、野人に親を殺されたオリーだったというところもまたやるせない。
敵味方の間に積み上げられた物語があるからこそ、キャラクターの死は映えるのである。
その点、亡者の攻撃は単調でワンパターンだし、お互いの感情の絡んだドラマも生まれない。殺し方も、ほとんどがただザクザク刺しまくるだけという工夫のないものである。なんだか投げやりな感じだ。
ただしこれはけっして死者との戦いだからつまらない、という意味ではない。
実際、S5Ep8 "Hardhome"における死者の軍団との戦いは手に汗握った。
唯一の対抗手段であるドラゴングラスを失い絶体絶命というところで、無我夢中に振るったジョンのLongclawがホワイトウォーカーを粉砕する。あの瞬間の興奮は今でも忘れがたい。
引用元:Watch Game of Thrones Season 5 Episode 8 Online: Hardhome | HBO
このシーンの何より素晴らしいところは、一発逆転の爽快感があるというだけでなく、これまで単なるブランドにすぎなかったヴァリリア鋼が一転して重要アイテムになったということだ。
このエピソードを見た直後、ぼくはこれまで登場したヴァリリア鋼の武器を必死に思い返し、誰がどの剣を使うことになるのだろうと想いを巡らせた。
ところがだ。この長き夜の戦いにおいて、ついに集結したヴァリリア鋼の剣はちっとも役に立たなかった。
ヴァリリア鋼は対ホワイトウォーカー用の武器であって、通常の亡者に対してはほとんど意味がない。そのホワイトウォーカーといえば、みんな一ヶ所に固まってちっとも前線に出てこないのである。
結局活躍したのはアリアの短剣だけだ。
これではなんのために他の剣が集まったのかわからない。
ジョン、ジェイミー、ブライエニー、ジョラーといった主要キャラが手にしていたのにもかかわらず、ほとんどのヴァリリア鋼は大量のドラゴングラスとともに無用の長物と化してしまった。*3
ついでに言うと、アリアが"夜の王"にとどめを刺すというのも微妙に首をひねりたくなる展開ではある。
ぼくはアリアが大好きだし、かつてブランの命を奪おうとした短剣が最後にブランの命を救うという展開も洒落ているとは思うが、彼女が立役者になる必然性はあったのだろうか。
アリアと"夜の王"にはストーリー上の接点がほとんどない。それに彼女は変装を得意とする暗殺者であって、異形の怪物退治は専門外のはずだ(そういえば、今シーズン彼女は一度も変装術を披露していない)。
予想を裏切るのと期待を裏切るのはまったく別物である。
一般的な物語の文脈から考えれば、"夜の王"を打倒するのはジョン・スノウでなくてはならなかったはずだ。そもそも彼はそのために蘇ったのではなかったのか。
しかし、製作陣はあえてそうしなかった。
今思えば、この時点でジョンはもう主人公ではなくなっていたのかもしれない。
嵐の申し子から灰の女王へ
最終章の話をするうえで避けては通れない話題に移りたい。
おそらくは海外ドラマ史上もっとも物議を醸したであろうEp5 "The Bells"についてだ。
本作の主人公のひとりであり、このドラマ全体の看板的存在でもあったデナーリスが無辜の人々を虐殺する光景は多くのファンに衝撃を与えた。
鉄の玉座の正当なる継承者、アンダル人と最初の人々の女王、七王国の守護者、ドラゴンの母、グレート・グラス・シーのカリーシ、焼けずの女王にして奴隷解放者。
今でこそデナーリス・ターガリエンを形容する呼び名は数えきれないほどにあるが、かつての彼女が持っていた肩書きはたったひとつ、"嵐の申し子"(Stormborn)だけだった。
ロバートの反乱によって命からがら亡命したターガリエンの王妃が、自身の命と引き換えに産んだのがデナーリスだ。その日はひどい嵐の夜で、それこそがStormbornという名前の由来である。
生まれる前から地位も財産も両親も失い、逆境の世界に生きてきたデナーリスにとって、"嵐の申し子"という名前はまさしく彼女のパーソナリティーそのものを示していると言える。
その"嵐の申し子"は、とうとう"灰の女王"に変わってしまった。
この展開が受け入れられない、という人もかなり多かったことと思う。それはよく理解できる。
ただ、個人的な感想で言えば、この展開そのものについては納得できた。
彼女は一貫して、偉大な女王としての資質と狂王の資質との両者を併せ持つ人間として描かれてきた。
そして、そのどちらにでも転びうる絶妙で危ういバランスこそが彼女の魅力でもあったのだ。
番組開始当初からこの展開が確定していたのかどうかはわからない。少なくとも、その可能性はつねに示されていた。
ただ、彼女が明確に"灰の女王"(Queen of the Ashes)へと舵を切りはじめたのは、S7Ep2におけるオレナ・タイレルとの会話がきっかけだ。
You're a dragon. Be a dragon.
(あなたはドラゴンよ。ドラゴンでありなさい)
かつてヴィセーリス・ターガリエンは、自身を怒らせることを「ドラゴンを起こす」と表現していた。そして怒りをコントロールすることができなかった彼は、越えてはいけない一線を踏み越えてしまった。
妹であるデナーリスも同じだ。
今になって思えば、オレナとのあの会話の時点で彼女の結末は決定づけられてしまっていた(そして偶然にも、このS7Ep2のタイトルは"Stormborn"なのである) 。
「ドラゴンであれ」というオレナの言葉から、そしてこれまでの経験から、 デナーリスは畏怖によって市民を服従させることが唯一の手段であると頑なに思い込むようになってしまった。
それも無理からぬことである。彼女はこれまで直面してきた問題のすべてを、ターガリエン家の標語どおり炎と血によって打開してきたのだから。
ヴァエス・ドスラクで、クァースで、アスタポアで、ミーリーンで、そしてウェスタロスでも、彼女はすべての敵と障害を焼き尽くしてきた。燃やすこと、支配することでしか彼女は自らのアイデンティティーを証明することができないのである。
火だるまにする相手が蛮族や奴隷商人である間は、デナーリスの活躍は爽快だった。
ところが、その相手が我々視聴者のよく知るウェスタロスの民となれば話は変わってくる。
その危うさに関しては、ここで詳細に語るまでもなくティリオンが視聴者に向けてご丁寧に説明してくれている。
Everywhere she goes, evil men die. And we cheer her for it.
(彼女が現れれば悪人は死んだ。そして我々は彼女を応援した)
善悪の観点は立場によってたやすく変わってしまう。
それを顕著に示すターニングポイントとなったのが、S7Ep4 "The Spoils of War"だ。
引用元:Watch Game of Thrones Season 7 Episode 4 Online: The Spoils of War | HBO
個人的にこのS7Ep4は『ゲーム・オブ・スローンズ』全話の中でもトップ5に食い込むお気に入りのエピソードである。
重要なのは、ここではじめてデナーリスの侵略行為が侵略される側の視点から描かれたという点だ。
このエピソードで視聴者はジェイミーとブロンの目線から物語を追いかけることになる。
ラニスター軍をいともたやすく焼き尽くすデナーリスの脅威を、ウェスタロスの人々は(そして我々視聴者も)ここで身をもって体験することになるのだ。
これまで正義に見えていたはずのデナーリスの所業に恐怖を感じる瞬間である。ここの転換が非常に巧みであり、かつ敵味方両者のドラマもしっかり理解することができる。これがこのエピソードが白眉であると感じる理由だ。
ここまでは良かった。
デナーリスの内面的な部分も含め、丁寧に、かつ共感しやすく描かれていた。
しかしながら、最終章における彼女の変化はあまりにも突然である。
彼女の急激な変貌は『スター・ウォーズ』シリーズのアナキン・スカイウォーカーに喩えられる。
ファンからの否定的な声が大きい新三部作だが、アナキンがダークサイドに至るまでのキャラクターアークにはたしかに問題が多い。
アナキンの内面の変化がきちんと描かれないまま、最後にはダース・ベイダーになるという結論ありきで物語が進んでいく。
そのため、ラスト数十分での彼の闇堕ちはとても唐突に感じてしまう。
デナーリスの変貌はアナキンのそれとよく似ている。
展開上なるべくして灰の女王になったというよりも、デナーリスを灰の女王にするために無理やり展開を捻じ曲げたように見えてしまった。
レイガルの死がいい例だ。彼はユーロンの奇襲によってあっさり撃ち落とされてしまう。ドラゴンってこんなに弱かったっけ?と思わずにはいられない(にもかかわらず、次話で同じ攻撃を受けたドロゴンは無傷なのである)。
ジョラーやミッサンデイといった側近たちにしてみても、デナーリスを追い詰めるためだけに殺されたようなものだ。露骨な脚本の犠牲者である。だれかダーリオ・ナハリスのことも思い出してやってくれ。
本来であれば、視聴者はデナーリスの怒りと悲しみに寄り添えるはずだった。
なにしろシーズン1の第1話からずっと彼女と一緒に旅をしてきたのだから。
ターリー父子の処刑シーンでは、デナーリスの凶暴性を予感させる一方で、彼女の立場を考えれば同情できる部分もあった。
鐘の音が鳴り響いたとき、デナーリスが王城に特攻してサーセイを殺そうとするのなら、それもまだ理解できた。
だが、彼女はそうはせず、どういうわけか王都の人々を端から燃やしはじめる。
視聴者は完全に置いてけぼりである。アナキンがパダワンの子どもたちを皆殺しにしたときと同じ感覚だ。
引用元:Watch Game of Thrones Season 8 Episode 5 Online: 5 | HBO
この重要な変遷は本来もっと時間をかけて描かれるべきだった。
ジェイミー・ラニスターもまたキャラクター性が180度転換した人物の代表例だが、彼の変化は数シーズンをかけてじっくりと描かれた。それゆえに視聴者は彼の成長に納得し、共感できるのである。(彼の最期についてはまた賛否両論あるのだが…)
十分な下積みのもとにこの展開を迎えていたのなら、本作の結末は大きな賞賛をもって迎えられていたであろうと思うと残念でならない。
とりあえずカリーシと名付けられた子どもたちの将来が心配である。
二人のキングスレイヤー
ここでジョン・スノウについてもすこしだけ話しておきたい。
最終章におけるジョンの扱いは、はっきり言ってかなりお粗末だ。口を開けばShe's my queenの一点張りである。
そもそも、デナーリスへの忠誠を貫くジョンには違和感しかない。
我々はマンス・レイダーにもスタニス・バラシオンにもけっして跪かなかったジョンを知っている。そうした方が明らかに合理的であっても、ジョンはその信念を覆さなかった。それこそがジョン・スノウという人間のゆるぎない矜持だったはずである。
"北の王"としての責務を放り出し、機械のように盲信的にデナーリスを信奉するジョンはまったく彼らしくない。
結局、サンサの懸念は的を射ていたと言わざるを得ないのではないだろうか。傍から見て、ジョンはたまたま出会った異国情緒の美女にのぼせ上がっているようにしか見えない。
デナーリスとの間にそれほど深い愛情があったようにはとても感じられないのだ。
愛してる愛してるとさかんに繰り返すわりに、彼はデナーリスの心境をまるで理解できていない。
玉座を得るためだけに生きてきた女性の前で、正統な世継ぎが「玉座に興味はない」と繰り返すのは賢明な行いとは言いがたい。特に、その女性が自身の権威に危機感を抱きつつある場合は。
しかも、絶対に明かすなと釘を刺されたのにもかかわらず、「家族に嘘はつけない」とあっさりサンサとアリアに秘密を明かしてしまう。これでは戦乱を避けるためにジョンの出自を家族にさえ隠していたネッドが浮かばれないではないか。
案の定、この行動はデナーリスによる大虐殺の火種となってしまった。
そして、ティリオンの言葉に乗せられるがまま今度はあっさりとデナーリスの殺害を決意する。
個人的に言わせてもらえば、デナーリスの闇堕ちよりもジョンの主体性の無さの方がよっぽど不自然だ。
描きかたに問題はあるものの、デナーリスの人間性は少なくとも最後まで一貫していた。
ところがジョンはどうだろう。
シーズン6あたりまでのジョンであれば、大義のために女王を殺すという選択をとっても説得力があっただろう。
しかし最終章のジョンは何もかも周囲に言われるがままで、主張や行動も一貫性に欠ける。
みずからの出自を知ってどんな反応をするのかと思えば、「関係ない、きみが女王だ、玉座に興味はない」と、結局最後までそれしか言わない。
満を持して明かされた衝撃の事実であったにもかかわらず、これまたデナーリスを追い詰めるための設定としてしか機能していなかった。
その結果、おそらくは感動的に描きたかったのであろうデナーリス暗殺の場面は、違和感ばかりが募るシーンとなってしまった。
こうして王殺しとなったジョンだが、じつは彼が王を殺すのはこれが二度目である。
かつて火刑に処された"壁の向こうの王"マンス・レイダーの介錯をしたジョン・スノウの姿には、紛れもなく王としての資質があった。あの頃の彼は一体どこへ行ってしまったのだろうのか。
ここでもうひとりの王殺しについても触れておきたい。
大方の予想では、ジェイミー・ラニスターは最終章でふたたび王殺しになるのではないかと考えられていた。
「サーセイが街を焼こうとし、ジェイミーがそれを食い止めるために彼女を殺す」というのが代表的なファンセオリーだった。*4
視聴者の多くも、ワイルドファイアで街を焼き尽くすサーセイと、それを阻止するために戦うジェイミーの姿を期待していただろう。
しかし、最終章のサーセイは意外なほど大人しかった。反撃らしい反撃もほとんどなく、まるで悲劇のヒロインのような最期を迎えるのである。
ジェイミーとサーセイのこの結末もかなり好みが分かれるだろう。
かつてジェイミーは街を燃やそうとした王を殺して市民を救い、キングスレイヤーと呼ばれるようになった。
ところが今回はその役目をジョンに譲り、サーセイと心中を遂げる道を選んだ。
ジェイミーは結局もとの彼に戻ってしまったのだろうか?
ぼくはそうは思わない。ジェイミーのこれまでの旅はけっして無駄ではなかった。
必ずしも誰もが英雄的に死ななければならないわけではない。
ブライエニーらとの出会いを経て、ジェイミーは多くを学んだ。
彼のこれまでの過ちはすべてがサーセイへの愛に起因するものだった。そんな自身を省み、自らの意志で人生を切り拓けるようになったうえで、それでもサーセイを選んだのだ。これは成長だとか正しさだとかとはまた別次元の話だ。
正直、サーセイが本心ではどこまでジェイミーを愛していたのかはわからない。最後に近くに残ってくれたのがジェイミーだったから、そのように振る舞っただけかもしれない。
そしておそらくは、ジェイミー自身もそのことを理解していたはずだ。かつては盲目的にサーセイを求めていただけだったが、彼はより俯瞰的に物事を見られるようになった。わかっていてなお、彼はサーセイのそばにいることを選択した。
このふたりの結末に完全に満足したわけではないが、ひとつの終わり方として美しいものであったと思う。
メイスター・エイモンは「愛は義務を殺す」という言葉を遺したが、ジェイミーは愛のために義務を放棄し、ジョンは義務のために愛する者を殺した。
おなじ王殺しという罪を背負うことになったふたりの男は真逆の運命を辿ることになったわけだが、果たしてどちらが人間らしい決断だったのだろうか。
不自由なブラン
すっかり忘れてしまっていたが、そういえばこのドラマの主題は王位争奪戦である。
デナーリスが死に、ジョンが囚われ、最終的に玉座に就いたのはなんと"不自由なブラン"(Bran the Broken)だった。
Brokenという呼称もなんだかあんまりな気がしてしまうが、この名前はS1Ep4でティリオンがブランにかけた言葉からのコールバックになっている。
I have a tender spot in my heart for cripples, bastards and broken things.*5
(俺は障害者や落とし子や壊れたものに弱いんだ)
また、この名前はスターク家の祖先であるブランドン建設王(Brandon the Builder)と対比させるという意味合いもあるのかもしれない。
ブランドン建設王は冬の脅威に備え、ウェスタロスの北に長大な"壁"を造った張本人だ。
今やその壁は破壊され、"夜の王"が滅びたことで長い冬も終わった。そう考えると、Bran the Brokenというのもそれなりにしっくりくる名前ではある。
しかしながら、ブランが王になるという展開は正直あまり予想していなかった。
考えてみるとまあ妥当な人選ではあるかもしれない。何しろブランはもうほとんど仙人みたいな存在だ。
"三つ目の鴉"としてすべてを見通す力を持っているし、最後にスターク家が頂点に立つというのも物語としては収まりがいい。
焼け落ちた鉄の玉座に代わって車椅子が玉座になるというのも粋なオチではある。
あまりにも前振りが少なすぎるという問題を除けばだが。
ジョジェンが超能力に目覚めたのも、ホーダーが知性を失ってしまったのも、すべてはブランが王になるためだったのだろうか?そしてミーラはどこへ?
それにしても、あれだけの大事件が起こったあとに、のこのこ現れた諸侯たちが「次の王様誰にするー?」と呑気に会議を始めるというのはなんとも面白おかしい光景であった。グレイワームもそれで納得しちゃうのかよ。
ジョン・スノウを王にするという選択肢が一切考慮されなかったのも不思議だ。諸侯たちは彼がターガリエンだということをちゃんと知っていたのだろうか。
一方のサムは、民主主義を提唱するも一笑に付されてしまう。個人的にこのシーンを入れてくれたのはちょっと嬉しかった。
最終章放送前の予想では、ウェスタロスでは君主制が廃止され民主政になるのではないか、というものもあった。
だがウェスタロスの文明水準を考えると、民主主義は急進的すぎる。近代的な政治体制が受け入れられるようになるまでにはまだまだ時間が必要だろう。*6
それでも、あえてその点に言及させたのは面白いポイントであると感じた。
ところで余談だが、あの会議に知らない顔がちらほらいたのがとても気になっている。
マーテル家の一族は全滅したはずだが、ドーンのプリンスとやらはいったいどこから湧いてきたのだろう。*7
サムの隣に座っていたのはタイレル家あたりの旗主だろうか。
せっかくの名家大集合シーンだというのに知らない顔ばかりというのはもったいない話である。
まあでもご無沙汰だったエドミュアとロビンが久々に見られたのは嬉しかった。
この状況で笑いを提供してくれるエドミュア叔父さんはある意味王の器かもしれない。
「物語」の重み
ロバート王死後の戦記はアーチメイスター・エブローズによって編纂され、サムによって「氷と炎の歌」の題がつけられた。
このドラマのストーリー自体が、ウェスタロスで語り継がれる叙事詩のひとつであったことがここで示されるのだ。
「氷と炎の歌」とは、ドラゴンとホワイトウォーカーを表す言葉であり、ジョンとデナーリスの関係性を指す言葉であり、同時にジョン自身の人間性を示す言葉である。
スタークとターガリエン両方の血を引くジョン・スノウは、まさに氷と炎を体現している存在であったのだから。
S8Ep6の終盤で、ティリオンはこんなセリフを口にする。
What unites people? Armies? Gold? Flags? Stories. There’s nothing in the world more powerful than a good story.
(人々を団結させるものとは何か? 軍隊? 黄金? 旗印? 物語だ。この世で良い物語以上に強力なものはない)
タイウィン・ラニスターは武器を使わずとも、吟遊詩人に「キャスタミアの雨」を唄わせるだけで相手を服従させることができたという。ウェスタロスの民ならば誰もがレイン家の虐殺の物語を知っているからだ。
そして、あの物語の恐ろしさは我々視聴者こそが誰よりも深く理解している。(ぼくは
The Rains of Castamereの演奏を聴くと今でもドキッとする)
引用元:Watch Game of Thrones Season 3 Episode 9 Online: The Rains of Castamere | HBO
その当事者でもあるウォルダー・フレイもまた、ウェスタロスに伝わる「ネズミのコック」の物語どおりに報いを受けることになった。*8
『ゲーム・オブ・スローンズ』の世界には、ほかにも多くの"物語"が登場する。そのほとんどは劇中でわずかに語られるのみだが、そのすべてが劇中の展開にかかわる暗示や教訓となっているのだ。
それだけに、ティリオンのこのセリフはじつに説得力がある。
正確に言えば、ブランが見通すことができるのは"過去"であって"物語"ではない。物語とは、語り部によって都合よく脚色された過去である。
これまで多くの偉業を成し遂げてきたデナーリスの名前は、おそらく後世の歴史では狂王としてしか語られないのだろう。
ジョンもまた、王殺しとしての汚名だけが残るのかもしれない。
すべての発端であるロバートの反乱でさえも、「レイガーがリアナを誘拐した」という一方的な解釈によって始められたのだ。
レイガー・ターガリエンはロバート王のセリフの中では極悪人として語られているが、レイガーと近しかった者は彼を好人物と評している。そして結局のところ、リアナと駆け落ちした彼の真意は誰にもわからないままだ。
善悪は主観によって変わることを、この作品は一貫して描いてきた。
良い意味でも悪い意味でも、物語は恣意によって歪められるものだ。(「氷と炎の歌」の中にティリオンに関する記述がないというのもその一例かもしれない)
そしてこのドラマのラストでも、それを象徴するようなシーンがある。
キングズガードの総帥に就任したブライエニーは、ジェイミーの功績を書き記す。
その内容はたしかに事実であるが、正確ではない。ブライエニーの個人的な感情によって、それらはほんの少し好意的に歪められることになる。
このささやかな嘘がぼくは好きである。
ジェイミー・ラニスターは後世の人々に英雄として語られるに違いない。それが正しいか間違っているかは別として。
勝つか死ぬか
シーズン1でのサーセイとネッド・スタークの会話を覚えているだろうか。
引用元:Watch Game of Thrones Season 1 Episode 7 Online: You Win Or You Die | HBO
ジョフリー、ミアセラ、トメンの三人がロバートの嫡出の子ではないと判明した時のことだ。
王都を去るよう進言するネッドに対して、サーセイはこう言い放った。
When you play the game of thrones, you win or you die. There is no middle ground.
(王位争奪戦では勝つか、死ぬか。妥協点はありません)
『ゲーム・オブ・スローンズ』の作風そのものを端的に表した代表的なセリフだ。
そしてその言葉どおり、王と呼ばれた者は全員死んだ。ただひとりジョンを除いて。
最終的に、ジョン・スノウは勝つことも死ぬこともできなかった。
王殺しの罪人として、永久に壁で生きることになった。
興味深いのは、彼の境遇がメイスター・エイモンのそれとまったく同じだということだ。
エイモン・ターガリエンもまた、次期王位にありながら政争に巻き込まれるのを避けるためナイツ・ウォッチの一員となった。
そしてジョン・スノウも、ターガリエンの呪いを受け継ぐことになったのである。「愛は義務を殺す」と言う教訓とともに。
壁の北へ向かったジョンは、ナイツ・ウォッチとして生きるのか、それとも自由民としての道を選ぶのか、はたまた壁の向こうの王となるのだろうか。 そもそも野人や亡者の襲撃のなくなった今ナイツウォッチになんの仕事があるのだろうか。
No one is very happy, which means it's a good compromise, I suppose.
(満足している者は誰もいない。それが良い妥協案である証拠かもしれない)
これはティリオンのセリフだが、ジョンに語りかけているように見えて、実際は視聴者に向けて投げかけられた言葉である。
あまりにも人気の高まりすぎた本作にとって、全員が満足できる結末など到底用意できるはずもない。視聴者それぞれの中に異なる理想像があるのだから。
有り体に言ってしまえば、「無難な落としどころを目指しました」ということなのだろう。
こうして、「妥協点はない」というサーセイの言葉とは裏腹に、『ゲーム・オブ・スローンズ』は妥協によって決着した。
正直不満は多い。このドラマには、日和ることなくもっともっと冒険してほしかった。
この結末を「正しかった気がしない」と語るジョンに対し、ティリオンはこう返す。
「十年後にまた聞いてくれ」と。
このやり取りも明らかに、製作者から視聴者への目配せである。
Ep6ではティリオンが製作者の主張を代弁するようなセリフが多かったように思う。
そのおかげで誰にとってもわかりやすくはなったけれど、一方でティリオンらしさが薄まってしまったような気がした。
原作を離れて以来、ドラマスタッフはティリオンの複雑なキャラクター性を持て余してしまっていたように感じる。
デナーリスの「女王の手」に就任して以降の彼にはほとんど見せ場がなかった。
本来であれば、デナーリスの凶行を食い止め、正しい道へと導くのがティリオンの役割だったはずだ。
ぼく自身も、なんだかんだ言ってティリオンがいるのだからデナーリスが道を踏み外すことにはならないのだろうなと楽観視していた。
しかし結局、製作陣がティリオンを扱いきれなかったのと同様に、ティリオンもデナーリスを扱いきれなかった。
仕方のないことだけど、原作が未完の状態なので製作陣は終盤のストーリーを(原作者のアドバイスがあったとはいえ)ゼロから作らなければならなかった。
様々な伏線を活かしきることができず苦労したことと思う。
だからといって作り直しを求める署名運動なんかはまったくナンセンスだと思うけれど、違う展開も見てみたかったという気持ちは確かにある。
ただ、最終章が満足できる出来でなかったからと言って、このドラマが積み上げてきたこれまでの功績がすべて無為になるわけではない。
ぼくの大好きなスタニス・バラシオンもかつてこう言っていたことだし。
A good act does not wash out the bad, nor a bad the good.
(善行は悪行を洗い流さない。逆もまた然りだ)
やっぱスタニスって良いこと言うわ。
あれだけ熱中していたのにもかかわらず最後はいろいろと複雑な気持ちで見終えることになってしまった『ゲーム・オブ・スローンズ』だが、これまで世界中を楽しませてくれたことと、いたずらに長引かせることなくしっかり完結させてくれたことには心から感謝したい。
そもそも本当にぶち壊しの最終回っていうのは『DEXTER』みたいなドラマのことを言うんですよ。
まだまだ書ききれなかったこともあったんだけど、すでにうんざりするほど書き散らかしてしまったのでこの辺で終わりたいと思う。
ここまでお読みくださった方がいればどうもありがとうございました。
Valar Morghulis!
そのほか印象的だった場面・セリフなど
- ジェイミーがブライエニーに騎士の称号を与えるシーン。単なる冗談から厳かな場面に転換するのが感動的だった。
- ダイアウルフの扱いがひどい。ゴーストとはなんだったのか。ナイメリアに至っては登場すらしなかった。
- アリアとジェンドリーのベッドイン。思わず「えっ!?」って声出ちゃった。
- かつて殺そうとしたブランを守って死んだシオン。良い最期だったけど、なんとか生きのびて罪を償ってほしかった。
- リアナちゃんと巨人の一騎打ち。まんま進撃の巨人だった。
- ジョラーの最期の言葉が「痛い…」の一言だったのが切ない。せめてKhaleesiって言わせてあげたかった。
- ミッサンデイの"Dracarys"。あれがデナーリスの行く末を決定づけてしまった瞬間だと思うとなんとも罪深い発言である。
- 今生の別れを悟り、最後の抱擁を交わすラニスター兄弟。このドラマ全編を通じてもっともエモーショナルな瞬間だった。
- なんのために出てきたのかわからないゴールデンカンパニー。団長のなんとも言えないかませ犬感がツボすぎる。
- 1秒で死んだクァイバーン。あまりにあっけなさすぎて笑ってしまった。
- 突然始まるジェイミーvsユーロンのステゴロ対決。無念のうちに死んでいくキャラクターが多いこのドラマの中で、ユーロンの好き勝手やりきった感がなんだか面白かった。
- シーズン2の黒魔術師の館で見たシーンの再現。王都に降り積もっていたのが雪ではなく灰だったというミスリードには素直に感心させられた。
- 「サンダー、ありがとう」(泣)
- いつもスタニスに文法を正されていたダヴォスが、ブロンの文法を指摘するシーン。シリーン王女とのお勉強がちゃんと実を結んでいたのが嬉しい。シリーンちゃんだけは幸せになってほしかった……
原作はすでにドラマとは全然違う展開になっているので、どんな結末になるのかとても気になる。
ちなみにファンの間では完結より先に作者の寿命が来るだろうというのがもっぱらの定説。
マジで勘弁してくれ。
Valar Dohaeris.
(おわり)
*1:原題は"A Game of Thrones"。邦訳では『七王国の玉座』
*2:ところで、メリサンドルはなぜシリオの言葉を知っていたのだろう?彼女のことなので何を知っていてもおかしくはないが、ひょっとするとエッソスではよく知られたフレーズだったりするのかもしれない
*3:わけても、OathkeeperとWidow's Wailはスターク家との因縁が深い剣である。この二本がウィンターフェルに揃ったということについてなにか言及があっても良さそうなものだ
*4:ドラマではカットされているが、原作のサーセイは「弟に殺される」と予言されている。この"弟"がティリオンを指していると思わせておいて実はジェイミーのことなのではないか、というのがファンの間での通説である
*5:ちなみに、この時のセリフ"Cripples, Bastards, and Broken Things" はこのエピソードのサブタイトルにもなっている
*6:『ゲーム・オブ・スローンズ』の設定自体は15世紀の薔薇戦争をモチーフにしているとされている
*7:一応、原作だとマーテル家にはトリスタンの他にもうひとりクェンティンという息子がいる。彼だとするとこれまでなぜ登場しなかったのかという新たな疑問が生まれてしまうが
*8:「ネズミのコック」は客人を殺したことで裁きを受けたコックの話。S3Ep10でブランが言及している